海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「殺しのVTR」デヴィッド・リンジー

1984年発表、ヒューストン市警の刑事スチュアート・ヘイドンを主人公とするシリーズ第二弾。「暴力」に呪縛された人間の闇を抉り取る重厚な筆致に圧倒される秀作だ。

惨たらしい戦争の実態を映した作品によって評価を得ていた戦場カメラマンのトイは、次第に残虐性を増していく映像が問題視され、大手通信社の仕事を失った。以降は、メディア分野も包括する多国籍企業の専属となり、経営者ローグとの個人的な契約によって撮影を続けていた。世界中の紛争地帯で記録する殺戮や拷問。その陰惨な映像は決して一般に公開されることはく、雇い主と取り巻きの一部のみが視聴していた。ローグは、広範囲の事業を独占的に支配する手腕を持ちながらも、倫理観が完全に欠如したサディストだった。その歪んだ性的嗜好を満たす為だけに収集されていくVTR。己の許容範囲を超えた異常性に嫌気が差したトイは、ローグ自身が関わる「暴力」をネタにした脅迫を密かに目論む。だが、穴だらけの謀叛は、新たな惨劇へと繋がり、血塗られた暴力の連鎖を招くことになった。

本シリーズの最大の魅力は、内省的な観察者でありつつも、犯罪に対しては鋭い嗅覚を発揮するヘイドンの深い造形にある。関係者の間を渡り歩き、隠れた接点を見出し、虚偽と事実を見極め、洞察する。捜査法は実直だが、他の警察小説と大きく異なる点は、刑事自身の心理状態が極めて不安定で、息詰まるような圧迫感に全体が包まれていることにある。主人公の心象が物語を揺り動かすのである。

ヘイドンは、血の観念に憑かれたトラウマを持つ。捜査の途上や街中で、眼前にいる人間が頭から血を流している幻影を視る。その頻繁に挿入される内面描写は強烈で、覚醒した状態で悪夢を視るような男の過去に何があったのかは、エピローグまで明らかにされない。映像技術者が殺された事件を発端に、捜査活動へと埋没していくヘイドンは、闇の奥に潜んだ異様な暴力の実体を引きずり出していくが、同時に自らの精神状態も限界へと近づく。この二層構造が、凄まじいまでの緊張を強いる。

暴力をカネに変える打算的なトイ。暴力に取り憑かれた異常者ローグ。暴力に縛られたヘイドン。それぞれの破滅が或る瞬間に交差し、縺れ、切れる。

終章に於いて、ヘイドンは自らの外的神経症のもととなった事件を初めて妻に語り、カタルシスを得る。この告解の情景は、本作の主題でもある「暴力への衝動」を解き明かそうとした試みでもあるのだろう。残虐な犯罪の実体へと迫るほど、正義と暴力の境が曖昧となり相対化されていく。暴力に憑かれた異常者と同じ深層に、己自身も横たわっていたことを悟る怖さを見事に描き出している。

暴力を標榜する男が、フロイトを引用しつつ、刑事に向かってうそぶく。「人類は、炎に惹きつけられる蛾のように、暴力に惹きつけられる。その炎の中で自らを滅ぼすまで」
炎への誘惑に抗することが出来ずに、燃え尽きる蛾。舞い上がった灰が、炎を見つめる三人の頭上をいつまでも浮遊し、暴力の虚無性を嘲笑う。

評価 ★★★★

殺しのVTR (扶桑社ミステリー)

殺しのVTR (扶桑社ミステリー)