海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「殺したくないのに」バリ・ウッド

繊細且つ鋭利な心理描写を縦横に駆使したサイキック・スリラー。とにかく濃密な空気感には圧倒された。恐怖心を煽る技巧が秀逸で、下手なホラー小説よりも格段に怖い。

ニューヨーク市警スタヴィツキー警部は、長年追っていた犯罪者の死を知った。その男、ロバーツは極悪非道のサディストだった。自分の手で投獄できなかったが、凶悪犯が一人消えたことには溜飲を下げた。ロバーツは、市内の超高級マンションに盗人仲間と押し入った際、突然死したという。検死報告によれば、首の骨が寸断され、筋肉は引き裂かれていた。高いビルから飛び降りるほどの衝撃を受けない限り有り得ない死に様だったが、誰一人その身体に触れてはいない。狙われた住居には、ギルバート夫妻が暮らしていた。両人とも医学博士、そして大富豪の出だった。当夜、ロバーツの暴力によって夫は失神しており、その奇怪な状況は、妻のジェニファーと、物盗り二人のみが目撃していた。なぜ、どのようにして、ロバーツは死んだのか。
スタヴィツキーは、この異様な事件を調べ始めるが、関係者は一様に脅えて口を閉ざした。数々の疑念を抱いたまま、ようやく刑事はジェニファーと対面する。いたって普通の中年女性に見えた。だが、事情聴取を始めた瞬間、時間の流れが止まり、物音も遮断されたような感覚に陥る。さらに、得体の知れない凄まじい恐怖がスタヴィツキーの全身を走り抜けた。何とか事件当日の状況を聞き取り、逃げるようにその場を離れた。言いようのない不安と吐き気が続いた。思い返すだけでも、身の毛がよだった。……あの女は、いったい何者なのか。

ウッド、1975年発表のデビュー作。捻りを効かせたプロット、無駄のない語り口で一気に読ませる。人を殺せるほどの念動力を持つ女の半生は要所要所で挿入するにとどめ、不可解な死の真相を追求する刑事スタヴィツキーの捜査活動を軸にしている。安易に超能力者自体をメインに据えるのではなく、その異常性を第三者の眼だけでなく〝五感〟で捉えて描画していくことで、より生々しいリアリティを生み出している。刑事は、徐々に女の過去を掘り起こしていくが、日に日にジェニファーへの恐怖心は倍加した。追い詰めるほどに、逆に追い詰められていく。この焦燥を表現する筆致は圧巻で、重苦しいまでの緊張を読み手に強いる。

実は、女が特殊な能力を身に付けた理由は、冒頭で明かされている。母親ケイト・リストが妊娠中に受けたレントゲン。まだ安全性が確率していない時代の放射線を胎児は浴びていた。リスト家は、科学的には説明がつかない力を備えて成長する娘を畏怖し、彼女が〝関わった〟事件をカネで握り潰してきた。中途で振り返るこれらのエピソードは強烈で、女の驚異的な力を克明に伝えていく。

次第にジェニファーの力に吸い寄せられるスタヴィツキー。取り憑かれたように女の軌跡を辿る刑事を通して、〝ミュータント〟を自認する孤独な女の悲劇性も、より鮮明に浮かび上がる。これまでの殺人は、全て自衛の結果であり、犠牲者は当然の報いを受けたも同然だった。だが、〝無意識〟で使っていた力を自由に制御できるようになった場合、どうなるのか。刑事は女に惹かれつつも、これ以上の犠牲を防ぐため、決着を付けようとする。だが、ジェニファーを罰することは、自らの死に直結した。彼女は身を守るために、敵対する者を殺す。当然、その力を知る者は協力を拒んだ。増幅する恐怖心と闘いつつ、スタヴィツキーは遂に覚悟を決め、女と対峙する。

刑事の求める〝正義〟が、最終的にどのようなかたちをとるのか。終幕のボルテージの高さは尋常ではなく、余韻も重い。

 評価 ★★★★