海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「人魚とビスケット」ジェームズ・モーリス・スコット

1955年発表作で、早くもその2年後には翻訳されているが、長らく入手困難で〝幻の作品〟と言われていた。この〝幻〟が付く類は、実際に読んでみれば「この程度か」で終わる場合が多い。本作もあまり期待していなかったのだが、メインパートとなる海上での過酷なサバイバルが、冒険小説の骨格をしっかりと備えており、意外と読み応えがあった。

主要な登場人物は四人。第二次大戦中、日本の侵略によりシンガポールを脱出した船が潜水艦の攻撃を受けて沈没。中年の男三人と若い女一人が救命ラフトへと逃れた。スマトラの西、インド洋での14週間に渡る漂流。備蓄した水と食料があるとはいえ、強烈な餓えと渇きが襲う。日中の大半は灼熱の太陽に身を焼かれ、待ち望んだ雨は悪夢のような嵐を伴い、甘い希望を粉砕する。
結果的には三人が生還を果たしていることを冒頭で示唆している。ストーリーの大半は洋上での地獄の如き極限状態を描いているのだが、実は本作の肝は別にある。四人は長期間に及ぶ狭いボート生活を強いられながらも、互いの素性を全く知らないまま苦難を乗り越えていく。女は「人魚」、男三人は「ビスケット」「ブルドッグ」「ナンバー4」と呼び合い、救助されて以降も、誰一人本名を教え合うことなく別れている。それぞれの人格は、長い漂流生活の中で当然のこと浮き彫りとなり、軋轢が生じているのだが、相手の正体は謎に包まれている。つまり、命懸けの冒険を通してさえ、四人は仲間意識、信頼感が持てずにいたという訳だ。この異常な設定はユニークではあるが、リアリティに欠ける。
物語は、事件後しばらくして、新聞の伝言欄を通して「人魚」の消息を尋ねる「ビスケット」の動きに興味を引かれた語り手が、再会現場まで赴いて様子を探り、遂には隠された真相を突き止めるという展開を辿る。敢えて謎解き仕立てにしてプロットに捻りを加えており、この点も評価されているようだが、個人的には結末に大した衝撃性も無く間延びしているだけで、反って作品の完成度を弱めていると感じた。

 評価 ★★★

人魚とビスケット (創元推理文庫)

人魚とビスケット (創元推理文庫)