海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ストーン・シティ」ミッチェル・スミス

発端から結末まで刑務所内のみで展開する異色のサスペンスで、獄中で発生した連続殺人の真相を囚人が探るという大胆な着想が光る1989年発表作。上下巻に及ぶボリュームだが、特異なエピソードを盛り込んで高いテンションを保っており中弛みはない。前作「エリー・クラインの収穫」(1987)でも話題となった五感を刺激する執拗な描写を本作でも駆使し、息詰まるような世界を創り出している。

 チャールズ・バウマン、43歳の元大学教授。再婚し、前妻との間には息子がいた。パーティーからの帰り、自転車に乗っていた少女を轢き殺し、そのまま逃げた。酒を飲んでいた。収監から一年が経ち、男は曲がりなりにも〝生き残る術〟を習得。現在は、文盲の囚人に読み書きを教えて「先生」と呼ばれている。さらに学生時代の経験を生かして刑務所内の強豪ボクシングチームのトレーナーも務めていた。
監獄は、シャバの肥溜めの如き醜悪な縮図だった。裏社会の敗残者たち。殺人犯、盗人、強姦野郎、放火魔、詐欺師、性的異常者……極悪人のみで形成された閉鎖空間。悪党らは、人種や共通する嗜好のもとに群れ、互いに覇権を争っていた。悪にも格差があり、小児性愛者は最も忌み嫌われていた。そんな中、所内で不可解な殺人が相次いだ。バウマンは、検察局と州警察から脅し同然の〝協力〟を求められる。恐らく知性と順応性を買われたのだろう。獄中に於いて無難な人間関係を築ける社会性を有した者は稀だからだ。自由無き牢獄での限定的な自由を得た男は、狂気と暴力が支配する〝石の都〟の更なる下層へと下りていく。

本作がメインに描いているのは、受刑者らの生々しい狂態であり、異常であることが〝正常〟と映る異界である。どこまでが実態に即したものかは分からないが、作者は念入りに取材をした上で構想したことを窺わせる。特異なのは、多くの者が閉塞感/焦燥感とは真逆の開放感/充足感に浸っていることだ。要は、牢獄の中でこそ、実存を見出せているのである。但し、ひとつ判断を誤れば、自らの死を招くことを誰もが肝に銘じている。物語は、犯罪者のシュールな生態を盛り込みつつ、囚人殺しの謎に迫る主人公の行動を追うのだが、それは既にヒビの入った硝子の上を這いずるようなもので、奈落の底へと一気に落ちる危険性を常にはらんでいる。狂った者たちと、どう駆け引きし、渡り合うか。そのバランスをとるさまが凄まじい緊張感を伴い、脆い綱を渡る男の〝捜査〟をより困難にする。
さらに、より強い印象を残すのは主人公の二面性である。人格者のように見えるバウマンは冤罪でないかと疑いつつ読み進めたのだが、徐々に明かされていく回顧から犯した罪が紛れも無い事実であることを知る。同時に極めて低い贖罪の意識と〝運の無さ〟を嘆く図太さに気付く。他の悪人と比べて、狂気性や暴力性の程度は〝軽い〟ものの、決して善人ではない。この設定が、勧善懲悪の定型を打ち破る終局への流れに違和感無く繋がっていく。

全てを解き明かした果てに男を待ち受ける無常なる運命。それを不条理と感じるか、当然の応報と捉えるか。衝撃的なラストシーンは〝この程度の動機〟で人を殺す完全なる狂気から、何者も逃れる術がないことを冷然と指し示し、虚無的なカタルシスへと導く。本作は、作家の剛腕あってこその異形のミステリであり、劇薬を忍ばせている。

評価 ★★★