海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ケンブリッジ・シックス」チャールズ・カミング

スパイ小説は当たり外れが特に多いジャンルで、ル・カレやグリーンを継ぐ、フォーサイスと比肩する、注目の大型新人登場など、威勢の良い宣伝常套句の大半は眉唾物なのだが、中には大傑作も当然含まれているため、読書リストから外すわけにはいかない。だが、翻訳で500ページを超える作品が中盤に行き着くまでもなく完全に駄作だと分かった場合、放り出すことなく「何故駄目なのか」に着目して読み進めることがある。2011年発表の本作も同様。前評判のいい加減さを見事に証明するもので、後半は溜め息をつきつつ、逆に「この小説の面白さが分からない」私は読解力が足りないのだろうか、と不安を覚えたほどだった。

カミングは英国秘密情報部に「リクルートされた」経歴を持つらしいが、最近では元スパイという肩書き自体珍しくなく、その経験が生かされるかどうかは、当然「作家」としての素質/才能に依る。題材となる英国秘密情報部の汚点「ケンブリッジ・ファイブ」は散々使い古されており、5人組以外にも二重スパイが存在したかもしれないという設定も安易だ。敢えてこのテーマに挑戦するからには、斬新な切り口と意外性を組み入れ、料理の仕方に相当の腕を要求されるところだが、本作に関しては素材もスパイスも料理人も凡庸で味も素っ気もない。
さぞや6人目のダブルスパイが再び英国を揺るがす脅威となり、「国際情勢を左右する事実」がどのような顛末を辿るかにも大いに期待していたのだが、結末を読み終えても一切分からない。というよりも、プロットは早々に破綻しているため、間抜けな登場人物らがひたすらに空回りする笑えない滑稽さのみが記憶に刻まれていく。終始、主人公のとぼけた歴史学者が「重大な秘密」を探るために身勝手な汗をかきつつヨーロッパを右往左往して要らぬ騒動を巻き起こし、それをヒロインらしき工作員が何のメリットがあるのか皆目不明なままフォローする。終盤に至っては出来の悪いパロディーで、つまらない物語をさらに最低のレベルへと引き下げている。単に呆けた老人に振り回されていたという醜態。何ら得ることが無くても、大きな秘密を握ったらしい主人公は、英露にとっては多額の口止め料を支払う価値を持つ人物となったようなのである。慰謝料や生活費で借金まみれの主人公には大助かりの結末なのだが、単なる道化を恐れる理由が何一つとして伝わらない。「ケンブリッジ・ファイブ」との関わりや秘史も皆無で、著者はSISに主人公と同じく箝口令でも敷かれているのだろうか、と馬鹿なことを考えて憂さを晴らすしかない。

まとまらないプロット、全編緊張感に欠け、展開も違和感しか残らない。さらに、視点が脈絡を無視して変わるため、いま誰の言動を読んでいるのか混乱する。要は使い手によっては効果を上げる技法が、完全に失敗している。登場人物は多いのだが、造形が浅く、主人公をはじめとして魅力的な人物が一人もいない。
相変わらず某サイトでは、絶賛のレビューが溢れていたのだが、この程度の凡作で楽しめることが不思議でならない。そもそも、どんでん返しなどあっただろうか。もしくは、私は別の作品を読んでしまったのだろうか。

評価 ☆

 

ケンブリッジ・シックス (ハヤカワ文庫NV)

ケンブリッジ・シックス (ハヤカワ文庫NV)