海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「弁護」D・W・バッファ

1997年発表のリーガル・サスペンス。主人公は、新進気鋭の弁護士ジョーゼフ・アントネッリ。冒頭1行目で「わたしは勝って当然の裁判に負けたことはなかったし、負けて不思議のない裁判のほとんどに勝ってきた」と語り始める。そして「わたしの弁護士人生は、検察側が有罪の者を有罪とすることをあらゆる手段を用いて阻止することに費やされた。勝つこと、ただそれだけが問題だった」と続ける。
この導入部で、読み手は予想するだろう。有能だがドラスティックな弁護士が、高慢なスタンスを打ち砕かれて窮地に陥り、人生を変える結末を迎えるのだろうと。物語は、ほぼその通りの流れを辿るのだが、事件を通して苦悩する弁護士の内面、その過程を描くことに主眼を置き、登場人物やエピソードを絞り込んで情景を鮮やかに印象付けていく。手法は実直で派手さは無いが、主人公の一人称一視点が淀みなく、ストーリーに深みを与えている。

刑事専門の弁護士アントネッリは、老判事リフキンから、或る人物の弁護を引き受けて欲しいと頼まれる。深い尊敬の念を抱く恩師の期待に応えるべく承諾。だが、リフキンは「勝ちすぎている」アントネッリに対して、「時には負ける」ことも社会的な正義に繋がることを示唆する。被告人ジョニー・モレルは、義理の娘を暴行/レイプした罪に問われていた。訴えたのは、まだ12歳の少女ミシェル本人。暴力癖があり狂気を漂わせるモレルは、疑いの余地なく有罪だった。横暴な男に対する怒りを覚え、負けを認める妥協も必要だと諭すリフキンの真意を図りつつも、アントネッリは「己の弁護で裁判に勝つ」ことに執着する。ミシェルの実の母親でモレルの妻・デニースは娘の虚言だと主張。アントネッリは法廷でミシェルの証言の曖昧さを突き、無罪を勝ち取った。その数年後、デニースは夫ジョニー殺害で有罪となる。彼女は長期にわたる麻薬中毒者で、男を誘惑しカネを無心する強慾な敗残者だった。アントネッリは、ミシェルの事件で平然と嘘を吐いたことを糾弾し、デニースの弁護を拒否した。さらに時は経つ。長らく一人暮らしを続けていたリフキンの家で女が射殺された。被害者はデニース・モレル。殺害の状況は、全て老判事が犯人であることを指し示していた。
発端から10年。デニースとリフキンの繋がりとは何か。リフキンは、ミシェルのレイプ事件で、なぜアントネッリに弁護を依頼したのか。この一連の事件に隠された過去、真実とは何か。アントネッリは、「勝つことのみが問題」とはならない情況へと追い詰められる。

勘が良い読者なら、終盤で明らかとなる真相は、中盤を過ぎたあたりで推察できるため、プロット自体は弱い。ただ、作者はミステリとしての完成度よりも、司法制度における陪審制が抱える脆弱性/問題点を掘り下げることに力を注いでいると感じた。本作が主題とするのは「法と正義」の問題であり、実際に罪を犯した者が、須く法の裁きを「厳密に」「平等に」「正しく」受けることは無い、という実態を基にして構想している。有罪が明らかな被告が、検察官の力量不足により立証責任がままならず、或いは、巧妙な弁護士の手腕によって、無罪放免となる。これは陪審制の大きな課題だ。

アントネッリは、例え依頼人が罪を犯していようがいまいが、冷徹に割り切って法廷で勝つことのみを優先してきたが、恩師の判事が殺人の罪を問われる段になって、初めて自信が揺らぐのである。間違いなく無実であるはずのリフキンは、確実に有罪となりえた。それまで、数々の極悪人の罪を帳消しにしてきた己の弁護の力を、本当に救うべき人のために発揮出来ないというジレンマ。その焦燥の中で、アントネッリは禁じ手を使わざるを得ない状況にまで陥っていく。

本作は、悲劇的で陰鬱な復讐譚でもあるのだが、殺人者が目的を達成するために、凄腕弁護士が過信する力を逆に弱点と見なして利用するという捻れが秀逸だ。冒頭での独白が象徴する主人公の傲慢さは、苦い終幕の時点ではすでに粉々に砕け散っているのだが、真犯人の究極の報復が、悪人を罰する機会を退けた弁護士へと繋がり、恩師を救うべく奔走する男のエゴを徹底的に潰すさまは容赦が無く、物語の行き着く先として非常に巧い。

どうにも主人公に同情しづらい面もあるのだが、全てを終えて重い悔恨とともに孤独を噛み締めるエピローグは、流石に憐れではある。本作で精魂尽き果てた弁護士は、以降シリーズ化され再登場する。次作にも期待したい。

評価 ★★★★

弁護 (文春文庫)

弁護 (文春文庫)