海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

2021-01-01から1年間の記事一覧

「裏切りのキロス」ジャック・ヒギンズ

先日綴った通り、本格物のみならず、ハードボイルドやスパイ/冒険小説の名作を再読し、レビューするつもりでいるのだが、如何せん未読の山を眼にすると、つい先に手を伸ばしてしまう。特にヒギンズの場合、初期には読み残しが多い。いつ「鷲は舞い降りた」…

「悪を呼ぶ少年」トマス・トライオン

決してホラー小説を多く読んできた訳ではないが、文字通り恐怖感を覚えた作品は少ない。「悪魔の収穫祭」(1973)はその稀な作品のひとつで、ポーやラヴクラフトらの古典に通じる根源的恐怖を現代へと鮮やかに甦らせていた。トライオンは42歳で俳優を引退し…

「最後の暗殺」デニス・キルコモンズ

謀略の狭間で死闘を繰り広げるプロ対プロ。一方は引退間近のフリーランスの殺し屋、もう一方は引退同然だったMI6諜報員。どちらが先手を取り、より有効なダメージを与えるか。二人に共通するのは、些か錆び付いているとはいえ、時に鋭い光を放ち敵の眼を…

「10億ドルの頭脳」レン・デイトン

相変わらずの迷宮世界で独自のスパイ小説を構築するデイトン1966年発表作。共産圏壊滅を狙う極右組織。その実態は現実性に乏しい策略を捏ねくり回す素人集団に過ぎなかった。この滑稽な妄想家らの企みの穴に付け込み、フリーランスの工作員が暗躍、某国への…

「地獄の群衆」ジャック・ヒギンズ

1962年発表作。同年上梓の「復讐者の帰還」はなかなか読ませたが、本作はどう贔屓目に見ても習作どまり。この時期は出来不出来が激しかったようで、気負いが実作に結び付いていない。娼婦殺しの容疑者に仕立てられた男が刑務所から脱走し真相を追及するとい…

「大統領専用機行方を断つ」ロバート・J・サーリング

予測不能の展開が強烈なサスペンスを伴い読み手を翻弄する1967年発表作。 第37代合衆国大統領ジェレミー・ヘインズを乗せた大統領専用機が、静養先のパーム・スプリングスへ向かっていた。時は夜間、航空路は荒れ模様だった。機長は管制塔との交信で、雲上へ…

「老人と犬」ジャック・ケッチャム

ホラー小説界の異端児ケッチャムは、稀代の問題作「隣の家の少女」(1989)で精神的加虐性を極限まで抉り出し、読み手の度肝を抜いた異能の作家だ。1995年発表の本作は、そのイメージを引き摺ると肩透かしを食らう。結論から述べれば、実に余韻の深いノワー…

「黒衣の花嫁」コーネル・ウールリッチ

〝第二のフィッツジェラルド〟を目指していた文学青年ウールリッチがミステリ作家へと転身したのちの初長編で1940年発表作。全体の印象と物語の構造は、後の「喪服のランデヴー」(1948)と重なる部分が多い。そして、二作品ともウールリッチの代表作である…

「裸の顔」シドニイ・シェルドン

精神分析医スティーブンスの周辺で相次ぐ殺人。自身も生命を狙われる羽目に陥るが、不可解な状況から警察からは逆に容疑者扱いされた。何故、命を狙われるのか。スティーブンスは、精神的不安を抱えた患者らの背景を改めて調べ始めるが、その間にも正体不明…

「魔の帆走」サム・ルウェリン

「海のディック・フランシス」の謳い文句が付いた1987年発表の海洋冒険小説。舞台は、イギリス沿岸部でヨットスポーツの拠点として開発が進む街。主人公は、ヨット設計技師チャーリー・アガッター。間もなく大西洋上でビッグレースが開催される予定だったが…

「Yの悲劇」エラリイ・クイーン 【名作探訪】

まずは私的な述懐から。以前「旅の記録」の拙文でも触れたのだが、私の海外ミステリ〝初体験〟は「Yの悲劇」(1932)だった。まだ十代の頃、気ままに選んでいた国内/海外文学の流れで出会った。各種ランキングで長らく不動の首位に輝いていた本格推理小説…

時計の針を巻き戻す【名作探訪/序】

本ブログ開設は2015年6月。レビュー数は、ようやく500を超えた。実質、1年間の数は100作品にも満たない。どうにも中途半端な数字だが、これが私にとっては自然なペースなのだろう。スタート時に掲載した大半は単なる覚え書き同然で、偉そうにレビューと掲…

「最後に死すべき男」マイケル・ドブズ

ナチス・ドイツ終焉を一人の男の冒険を通して鮮やかに刻印する傑作。幕開けは現代。自らの死期が迫っていることを悟った英国外務省の元官僚キャゾレットは、今まで避けていたベルリンを初めて訪れた。彼は観光の途中、ふらりと立ち寄った骨董品店で思い掛け…

「多重人格殺人者」ジェイムズ・パタースン

母国アメリカを中心に大ベストセラーを連発する人気作家。今も旺盛な執筆活動を続けており、共著も含めて150作に達している。最近では元大統領ビル・クリントンと組んだ〝全米100万部突破〟の「大統領失踪」で話題となった。名立たる〝セレブ〟とともに億万…

「ジョニー&ルー/掟破りの男たち」ジャック・ソレン

〝元義賊〟男二人組の活躍を描いたスリラー。シリーズ化しており、本作は2014年発表の第1弾。 失われた世界的名画。彼らは、それを不当に所有する収集家から奪い返し、美術館と保険会社から莫大な報奨金を得ていた。盗み出した現場に「モナーク(君主の意)…

「クラム・ポンドの殺人」ダグラス・カイカー

1986年発表作。翻訳ミステリ華やかなりし1991年に〝ひっそり〟と翻訳され、全く話題になることもなく埋もれてしまった作品だが、私は夢中になって読んだ。有力者であった老婦人の死をきっかけに、崩壊していく小さな田舎町。惨事は思わぬ方向へと波紋を拡げ…

「用心棒」デイヴィッド・ゴードン

新鋭ゴードン、2018年発表作。やや自分の色を出し過ぎて無骨さも目立った前作「ミステリガール」に比べて、構成が引き締まり、全体的にシャープになった印象。変化球を投げ込むオフビートな手法も熟れてきている。テンポ良く勢いのままに読ませる好編に仕上…

「最後に笑った男」ブライアン・フリーマントル

ジョナサン・エヴァンズ名義による1980年発表作。スパイ小説界の旗手として既に名を馳せていたフリーマントルは、当初〝別人〟に成り済ましていた。より作風の幅を拡げたいという思いと、溢れ出てくるアイデアをひとつでも多く書くために、敢えて複数の筆名…

「ブルックリンの少女」ギヨーム・ミュッソ

フランスのベストセラー作家による2016年発表作。突然失踪した婚約者の行方を追う男。手掛かりを求めて女の過去を掘り起こしていくが、その過程で鍵となる関係者らが次々に不可解な死を遂げる。わたしの愛した女は、いったい何者だったのか。主人公は、人気…

「南極大氷原北上す」リチャード・モラン

本作の時代設定は、〝近未来〟の1995年(発表は1986年)。大規模な地質学的流動により南極大陸下の海底噴火口からマグマが噴出。その結果、32万平方キロメートルに及ぶ巨大なロス棚氷が大陸と分離され、太平洋へと流れ出す。この棚氷が溶けた場合、海の水位…

「獅子とともに横たわれ」ケン・フォレット

稀代のストーリーテラー、フォレット1985年発表作。舞台は1982年のアフガニスタン。3年前に軍事侵攻したソ連とイスラム原理主義を掲げるゲリラの戦いは膠着状態にあった。米国は対共産主義の戦略的要衝としてアフガンを重視。ソ連に対抗するためには、散発…

「ストーン・シティ」ミッチェル・スミス

発端から結末まで刑務所内のみで展開する異色のサスペンスで、獄中で発生した連続殺人の真相を囚人が探るという大胆な着想が光る1989年発表作。上下巻に及ぶボリュームだが、特異なエピソードを盛り込んで高いテンションを保っており中弛みはない。前作「エ…

「SSハンター」シェル・タルミー

ツイストを効かせた復讐譚の秀作で1981年発表作。タルミーの翻訳は本作のみだが、筆力があり、プロットも練られている。マーク・セバスチャンは、復讐を果たすためだけに生きてきた。元SS将校四人を必ず見つけ出し、この手で決着を付ける。三十年前の1940…

「狙った獣」マーガレット・ミラー

サイコサスペンスの先駆的作品でもある1955年発表作。日常がじわりと狂気に浸食され、逃げ場無き闇へと変貌していく怖さ。心理描写に長けた女流作家ならではの筆致が冴える秀作だ。 父親の遺産を継いだヘレンは、30歳となった今もホテルに引きこもり、孤独な…

「バビロン脱出」ネルソン・デミル

デミル(本作邦訳時の表記はドミル)が名を上げた1978年発表作。この後、トマス・ブロックと共作した航空サスペンス「超音速漂流」(1982)、ベトナム戦争を主題とする重厚な軍事法廷小説「誓約」(1985)、斬新な設定と成熟した筆致に唸る至極のミステリ「…

虚構を超える現実

以下はスティーヴン・キング「霧/ミスト」のレビュー中で書いたものだが、加筆した上で切り離し、『旅の記録』に収めておきたい。 2021年1月現在、現代を生きる全ての人が、出口の見えない同時的な不安、最悪の場合には死に至る予測不能な疫病蔓延の直中に…

「霧/ミスト」スティーヴン・キング

1980年発表作、キングの中編としては最も読まれている作品かもしれない。語り手は、デヴィッド・ドレイトン。物語は彼が残した手記というスタイルで展開する。 舞台は米国メイン州西部。激しい嵐が過ぎ去った翌朝、束の間の静寂を経て地区一帯を覆い尽くした…