海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

時計の針を巻き戻す【名作探訪/序】

本ブログ開設は2015年6月。レビュー数は、ようやく500を超えた。実質、1年間の数は100作品にも満たない。どうにも中途半端な数字だが、これが私にとっては自然なペースなのだろう。スタート時に掲載した大半は単なる覚え書き同然で、偉そうにレビューと掲…

「最後に死すべき男」マイケル・ドブズ

ナチス・ドイツ終焉を一人の男の冒険を通して鮮やかに刻印する傑作。幕開けは現代。自らの死期が迫っていることを悟った英国外務省の元官僚キャゾレットは、今まで避けていたベルリンを初めて訪れた。彼は観光の途中、ふらりと立ち寄った骨董品店で思い掛け…

「多重人格殺人者」ジェイムズ・パタースン

母国アメリカを中心に大ベストセラーを連発する人気作家。今も旺盛な執筆活動を続けており、共著も含めて150作に達している。最近では元大統領ビル・クリントンと組んだ〝全米100万部突破〟の「大統領失踪」で話題となった。名立たる〝セレブ〟とともに億万…

「ジョニー&ルー/掟破りの男たち」ジャック・ソレン

〝元義賊〟男二人組の活躍を描いたスリラー。シリーズ化しており、本作は2014年発表の第1弾。 失われた世界的名画。彼らは、それを不当に所有する収集家から奪い返し、美術館と保険会社から莫大な報奨金を得ていた。盗み出した現場に「モナーク(君主の意)…

「クラム・ポンドの殺人」ダグラス・カイカー

1986年発表作。翻訳ミステリ華やかなりし1991年に〝ひっそり〟と翻訳され、全く話題になることもなく埋もれてしまった作品だが、私は夢中になって読んだ。有力者であった老婦人の死をきっかけに、崩壊していく小さな田舎町。惨事は思わぬ方向へと波紋を拡げ…

「用心棒」デイヴィッド・ゴードン

新鋭ゴードン、2018年発表作。やや自分の色を出し過ぎて無骨さも目立った前作「ミステリガール」に比べて、構成が引き締まり、全体的にシャープになった印象。変化球を投げ込むオフビートな手法も熟れてきている。テンポ良く勢いのままに読ませる好編に仕上…

「最後に笑った男」ブライアン・フリーマントル

ジョナサン・エヴァンズ名義による1980年発表作。スパイ小説界の旗手として既に名を馳せていたフリーマントルは、当初〝別人〟に成り済ましていた。より作風の幅を拡げたいという思いと、溢れ出てくるアイデアをひとつでも多く書くために、敢えて複数の筆名…

「ブルックリンの少女」ギヨーム・ミュッソ

フランスのベストセラー作家による2016年発表作。突然失踪した婚約者の行方を追う男。手掛かりを求めて女の過去を掘り起こしていくが、その過程で鍵となる関係者らが次々に不可解な死を遂げる。わたしの愛した女は、いったい何者だったのか。主人公は、人気…

「南極大氷原北上す」リチャード・モラン

本作の時代設定は、〝近未来〟の1995年(発表は1986年)。大規模な地質学的流動により南極大陸下の海底噴火口からマグマが噴出。その結果、32万平方キロメートルに及ぶ巨大なロス棚氷が大陸と分離され、太平洋へと流れ出す。この棚氷が溶けた場合、海の水位…

「獅子とともに横たわれ」ケン・フォレット

稀代のストーリーテラー、フォレット1985年発表作。舞台は1982年のアフガニスタン。3年前に軍事侵攻したソ連とイスラム原理主義を掲げるゲリラの戦いは膠着状態にあった。米国は対共産主義の戦略的要衝としてアフガンを重視。ソ連に対抗するためには、散発…

「ストーン・シティ」ミッチェル・スミス

発端から結末まで刑務所内のみで展開する異色のサスペンスで、獄中で発生した連続殺人の真相を囚人が探るという大胆な着想が光る1989年発表作。上下巻に及ぶボリュームだが、特異なエピソードを盛り込んで高いテンションを保っており中弛みはない。前作「エ…

「SSハンター」シェル・タルミー

ツイストを効かせた復讐譚の秀作で1981年発表作。タルミーの翻訳は本作のみだが、筆力があり、プロットも練られている。マーク・セバスチャンは、復讐を果たすためだけに生きてきた。元SS将校四人を必ず見つけ出し、この手で決着を付ける。三十年前の1940…

「狙った獣」マーガレット・ミラー

サイコサスペンスの先駆的作品でもある1955年発表作。日常がじわりと狂気に浸食され、逃げ場無き闇へと変貌していく怖さ。心理描写に長けた女流作家ならではの筆致が冴える秀作だ。 父親の遺産を継いだヘレンは、30歳となった今もホテルに引きこもり、孤独な…

「バビロン脱出」ネルソン・デミル

デミル(本作邦訳時の表記はドミル)が名を上げた1978年発表作。この後、トマス・ブロックと共作した航空サスペンス「超音速漂流」(1982)、ベトナム戦争を主題とする重厚な軍事法廷小説「誓約」(1985)、斬新な設定と成熟した筆致に唸る至極のミステリ「…

虚構を超える現実

以下はスティーヴン・キング「霧/ミスト」のレビュー中で書いたものだが、加筆した上で切り離し、『旅の記録』に収めておきたい。 2021年1月現在、現代を生きる全ての人が、出口の見えない同時的な不安、最悪の場合には死に至る予測不能な疫病蔓延の直中に…

「霧/ミスト」スティーヴン・キング

1980年発表作、キングの中編としては最も読まれている作品かもしれない。語り手は、デヴィッド・ドレイトン。物語は彼が残した手記というスタイルで展開する。 舞台は米国メイン州西部。激しい嵐が過ぎ去った翌朝、束の間の静寂を経て地区一帯を覆い尽くした…

「血の夜明け」ロバート・モス

1991年発表の濃密なスリラー。長きにわたりメキシコは政治腐敗の極みにあり、「制度的革命党」は不正選挙で半世紀以上も独裁体制を敷いていた。政権に対する私怨を持ち、北部の分離独立を目指す首謀者カルバハルは、麻薬密輸業者を引き込み、政府転覆のプロ…

「暗殺者の烙印」ダニエル・シルヴァ

あとに美術修復師ガブリエル・アロンシリーズで著名となるベストセラー作家の1998年発表作。大統領選に絡む軍需企業の策略を主軸に、CIAの敏腕工作員と元KGBの凄腕暗殺者の対決を描く。謀略自体は散々使い古されたもので、背後の秘密組織も007もどきだが、政…

ジョン・ル・カレの航跡

既に報道されている通り、2020年12月12日にジョン・ル・カレ(本名デイヴィッド・コーンウェル)が死去した。享年89歳。私は熱烈なファンという訳ではなかったが、訃報を知って或る喪失感に陥ったのは、偉大な作家をまた一人失ったという寂寥と、スパイ小説…

海へ

その冬、初めての雪だった。夕刻から降り出した風花は、街を抜けて湾岸道路を走る頃には勢いを増していた。ヘッドライトの光芒に乱反射し舞い落ちてくる雪片は、幻影のように私を淡い記憶の彼方へと導いた。揺れ惑う結晶のプリズム。その残像に軽い目眩すら…

「わが母なるロージー」ピエール・ルメートル

パリ警視庁犯罪捜査部カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ、2013年発表の〝番外編〟。翻訳文庫本で約200頁の中編のため、読み応えでは物足りない面もあるが、その分、全編を覆う緊張感はより濃密になっている。比較的シャープなプロットの中に、技巧派なら…

「暗いトンネル」ロス・マクドナルド

本名ケネス・ミラー名義で1944年に発表した処女作。執筆時はまだ28歳の若さで、ミシガン大学在学中に書き上げている。当時カナダ提督であった作家ジョン・バカンの講演を聞いたことがきっかけで構想、その影響下で執筆したと述べている。とかくミラー時代の…

「拾った女」チャールズ・ウィルフォード

思い掛けなく翻訳された1954年発表作。各誌の年間ベストにも選出され、概ね好評を得ていた。ウィルフォードは、80年代に始まったマイアミ・ポリス/部長刑事ホウク・モウズリーシリーズで著名なのだか、どちらかといえば玄人好みのマイナーな存在という印象…

「脱出せよ、ダブ!」クリストファー・ウッド

1983年発表、冒険小説本来の魅力を存分に味わえる隠れた名作。巻末解説で翻訳者佐和誠が熱を込めて述べている通り、本作の〝主人公〟は、縦横無尽に活躍する単葉飛行機《ダブ》である。オーストリアで生まれ、第一次大戦でドイツの主力戦闘機となり、初めて…

「ウェットワーク」フィリップ・ナットマン

近年の欧米ホラー映画の定番は、いわゆる〝ゾンビ物〟のようだ。宇宙からの怪光線や謎のウイルスによって死者が蘇り、人間の生肉を喰らい、噛まれて死んだ者は同類となって蘇生、頭部を破壊しなければ永遠に生きる屍となって地上を徘徊する。カニバリズムな…

「死のドレスを花婿に」ピエール・ルメートル

現代フランス・ミステリの底力を見せつけるルメートル。2009年発表の本作でも繊細且つ大胆な仕掛けを施した超絶技巧が冴え渡り、暗い情念に満ちた濃密なノワールタッチの世界と相俟って読み手を魅了する。 ソフィー・デュゲは、悪夢から目覚め、現実の地獄へ…

「ダブル・カット」ウィリアム・ベイヤー

エルサレムを舞台とする異色のサスペンス/スリラーで、1987年発表作。本作執筆にあたり現地に一年間滞在したというだけあって、ベイヤーの実体験に基づくディテールがリアリティを生み、物語の強度を高めている。永遠に混じり合うことのない異質の文化/民…

「心を覗くスパイたち」ハーバート・バークホルツ

1987年発表作。コンセプトは邦題の通りで、他人の思考が読み取れる特殊能力を持ったスパイたちの工作活動と葛藤を主軸にストーリーが展開する。SF的要素を生かすには、それ相応の腕が必要だが、概ね違和感なく組み込んでいる。特異な能力を備えた人間が一…

「手負いの森」G・M・フォード

1995年発表、シアトルを舞台とするハードボイルドの力作。過激な環境保護団体にのめり込んだ孫娘を連れ戻してほしい。依頼人は裏社会のボスだった。私立探偵レオ・ウォーターマンは、早速怪しげな団体の周囲を探り始める。やがて嗅いだのはインディアン保留…

「迷いこんだスパイ」ロバート・リテル

冷戦期を背景とするスパイ小説のスタンダードは「亡命もの」である。同テーマの〝職人〟ブライアン・フリーマントルをはじめ、これまで多くの作家によって傑作が書かれてきた。亡命を巡る諜報戦には敵味方問わず謀略が渦巻き、不信と裏切りに主眼を置くエス…